2009年12月17日

遊水池の持つ機能は

遊水池
遊水池の持つ機能は、ダムと同じく洪水調整量を負担することである。多くの場合、遊水池に面する河川堤防は他より低く建設され、洪水時には堤防を越えた河水が遊水池に流入する。下流の洪水流が十分流下しきった時点で、遊水池に貯留した河水が河川に戻されることとなる。遊水池の中には、平時は水田や公園等として使用されるが、洪水時には遊水池となるよう設定されたものもある。これを特に遊水地と呼ぶこともある。
氾濫原の復元
かつて氾濫原だったが、農地や住宅地などとして人間生活・活動に使用されている土地を再び氾濫原へ復元する事業は、主にヨーロッパ・アメリカ合衆国で盛んに実施されている。氾濫原は、ダムや遊水池と同様に洪水流を収容する能力を持っている。また氾濫原は、豊かな自然環境を保つことのできる場所でもあり、環境保全の観点から見ても、氾濫原の復元は望ましいことと言える。沖積平野の多い東アジアでは、氾濫原の復元を行うことは様々な自然条件的な困難を伴うため、あまり導入は進んでいない。
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砂防・治山
治水を効果的に進めていくには、河川の上流域における土砂の動きを適切に管理する必要がある。主に土砂災害を防ぐために行われるのが砂防事業であり、森林保全を通じて土砂管理しようとするのが治山事業である。治水・砂防・治山は相互に影響を及ぼし合うので、互いに密接な連携を持ちながら遂行されていかなければならない。
水防
住民が自主的に洪水被害を軽減するために行う活動を水防という。具体的には、洪水警報が発令されたときに地域へ呼びかける、破堤しそうな箇所がないか警戒にあたる、破堤しそうな箇所があれば水防工法を用いて応急処置を行う、などの活動を実施する。水害を防ぐ上で非常に重要な活動であるが、例えば日本では、住民意識の変化に伴い行政を頼る傾向が強くなり、自ら守ることに立脚する水防意識が次第に弱まっていることが治水研究者などから指摘されている。

2009年12月01日

文化人類学的な観点

一方、上記の遺伝子学的な仮説を補強するものとして、日本の神社でよく見られる「鳥居」が、現在の雲南省とビルマとの国境地帯に住むアカ族(英語:Akha、中国ではハニ族)の「パトォー・ピー」(「精霊の門」の意らしい)と呼ばれるものの形状に酷似し、さらには「額束」の場所には現地では鳥を模した造形物を飾る風習もあることが実地を調査した研究者や、多くの観光客によって数多く報告されていることから、このアカ族らが、南下、避難してくる前までは、元々は長江流域に住んでいた百越民族の中の文化である「鳥居」が原型ではないのか、という上記、仮説の補強がされるようになってきた。

「鳥」を神聖化する神社神道の文化に照らして、これは合理的説得力を持つものであるという主張もされるようになってきた。(但し、現在では、そのような「原型」は長江流域では見られない。)
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アカ族で見られるような「精霊の門」としての「村の門」が、時代の変遷とともに全ての都市での「結界」を意味するものとして発展的解消し、漢時代以降において、昆明市にある「金馬碧鶏坊」のような現代の華南の各主要都市で多く見られるような街の門のシンボルになり、それが原型になったのではないのかという説もある。

語源についても同様に不明である。鶏の止まり木を意味する「鶏居」を語源とする説、「とおりいる(通り入る)」が転じたとする説[4]、トラナを漢字から借音し表記したとする説などがある。
最近では、遺伝子学のアプローチから、稲(ジャポニカ)の原産地や、かつ琉球、朝鮮半島、日本、ベトナムに見られる「百越人」の遺伝子の出世地域が、雲南省長江流域ということが判明したという観点からいえば、雲南省南部のアカ族の風習に見られる「パトォー・ピー」が文字通り、鳥に似せた造形物が飾られる(鳥が居る)という風習もあるから、それを以って語源ではないのかという仮説もされるようになってきた

2009年11月27日

ULFは海中深くまで到達するので

ULFは海中深くまで到達するので、潜水艦は最大潜行深度付近で受信可能である。ただし、送信できるデータ量が非常に少ないので、大量の情報受信には向かない。また、ULFは送信するために、全長数十kmに渡る長大なアンテナ施設が必要で、有事の際にはこれらの施設が破壊される危険性がある。情報は一方通行となってしまう。

VLF(超長波)通信
VLFは海中深度10m程度まで到達するので、深度数メートル程度を潜行すれば受信可能である。実際はそこまで浅く潜ると発見される可能性が高まるが、曳航ブイまたはフローティング・アンテナを使用すれば、潜水艦本体は深深度で受信が可能となる。しかし、送信できる情報量が少ないので、大量の情報通信には向かない。

送信するには巨大な地上アンテナ施設を使うか、E-6マーキュリーなどのTACAMO機(空中通信中継機)によって空中に長いアンテナを吊るす必要がある。また潜水艦からVLFを送信する事は出来ず、情報は一方通行となってしまう。

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マイクロ波通信
通信衛星を利用できる国では、通信衛星との間でマイクロ波送信により送受信を行うことができる。マイクロ波は海中まで到達しないので、通信時には潜水艦のアンテナを海面上に露出させる必要があり、敵に探知される可能性が高まる。しかしマイクロ波は大量情報の送受信が可能なため圧縮通信を行なえば作業は短時間で済む。

水中音響通信
海中の要所に音波を利用した通信装置を設置し、それを海底ケーブルで地上施設と結ぶ事で、潜水艦との通信を行う。冷戦時には、アメリカ及びソ連海軍が音響通信装置を多数敷設した。

2009年11月13日

武田征伐

天正9年(1581年)、信長は絶頂期にあった。2月28日には京都の内裏東の馬場にて大々的なデモンストレーションを行なっている。いわゆる京都御馬揃えであるが、これには信長はじめ織田一門のほか、丹羽長秀ら織田軍団の武威を示すものであった[15]。 このときの馬揃えには正親町天皇を招待している。

同年5月に越中国を守っていた上杉氏の武将・河田長親が急死した隙を突いて織田軍は越中に行軍し、同地の大部分を支配下に置いた。3月23日には高天神城を奪回し、武田氏を追い詰めた。紀州では雑賀党が内部分裂し、信長支持派の鈴木孫一が反信長派の土橋平次らと争うなどして勢力を減退させた。
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同年に荒木村重の残党を匿ったり、足利義昭と通じるなど、高野山が信長と敵対する動きを見せた。『信長公記』では信長は使者十数人を差し向けたが、高野山が使者を全て殺害したと記録されている。一方、高野春秋では荒木村重探索の松井友閑の兵32名が高野山の領民に乱暴狼藉を働いたために高野山側がこれを殺害したと記している。いずれにしても、この行動に激怒した信長は、織田領における高野聖数百人を捕らえるとともに、河内国や大和国の諸大名に命じて高野山を包囲させた。

天正10年(1582年)2月1日、武田信玄の娘婿であった木曽義昌が、信長に寝返りこれを受け入れた。2月3日に武田氏に対しての大動員令を信忠に発令した。そして、駿河国から徳川家康、相模国から北条氏直、飛騨国から金森長近、木曽から信忠が、それぞれ武田領への攻略を開始した。信忠軍は、軍監・滝川一益と、信忠の譜代衆となる河尻秀隆・森長可・毛利長秀等で構成され、この連合軍の兵数は10万人余に上ったと言われている。これに対して武田軍は、伊那城の城兵が城将・下条信氏を追い出して織田軍に降伏。さらに信濃国の松尾城主・小笠原信嶺、江尻城主・穴山信君らも先を争うように連合軍に降伏し、武田軍は組織的な抵抗もできずに敗北する。

2009年11月02日

鉱石

鉱石(こうせき)は、人間の経済活動にとって有用な資源となる鉱物、またはそれを含有する岩石のことである。

資源として有用な鉱物は、コレクターが収集したり、博物館で展示されるような、その種類だけ顕著に集まった状態で埋蔵されていることはほとんどなく、他のさまざまな鉱物と混在した岩石の状態で産することがほとんどである。こうした岩石を鉱石と呼ぶ。鉱石に有用鉱物が充分な密度で含まれているか、またひとつの鉱山に鉱石が充分な量埋蔵されているかが、経済的な資源採掘に値する鉱山か否かを判断する上で重要である。鉱物資源として有用な鉱物がいくら高密度で鉱石の中に存在しても、十分な利益が得られるほどの埋蔵量がないと鉱山は運営できない。
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金山では、菱刈金山の金鉱石が世界有数の金含有量を有する鉱石と、大きな埋蔵量で著名である。
鉱業法で示されている「鉱物」は、以下の通り。

金鉱、銀鉱、銅鉱、鉛鉱、そう鉛鉱、すず鉱、アンチモニー鉱、水銀鉱、亜鉛鉱、鉄鉱、硫化鉄鉱、クローム鉄鉱、マンガン鉱、タングステン鉱、モリブデン鉱、ひ鉱、ニツケル鉱、コバルト鉱、ウラン鉱、トリウム鉱、りん鉱、黒鉛、石炭、亜炭、石油、アスフアルト、可燃性天然ガス、硫黄、石こう、重晶石、明ばん石、ほたる石、石綿、石灰石、ドロマイト、けい石、長石、ろう石、滑石、耐火粘土(ゼーゲルコーン番号三十一以上の耐火度を有するものに限る)、砂鉱(砂金、砂鉄、砂すずその他ちゆう積鉱床をなす金属鉱)。

2009年10月23日

詐欺

詐欺(さぎ)とは、他人をだまして、金品を奪ったり損害を与えたりすること。

他人を欺罔(ぎもう:人をあざむき、だますこと)をして錯誤に陥れること。詐欺による意思表示は、その意思の形成過程に瑕疵があるため取り消し得るものとされる(民法第96条)。

ただし、詐欺による意思表示を取り消したとしても、その効果を善意の第三者に対抗することはできない(民法96条3項)。これは、注意をすれば錯誤を回避することは必ずしも不可能とはいえないことと、善意の第三者を保護することで取引の円滑性を確保する必要があることによるものである。同様に強迫により形成された意思表示が取り消しうるものとされているが、その効果が善意の第三者に対抗できることと対比される。
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他人を欺罔し錯誤に陥れさせ、財物を交付させるか、または、財産上不法の利益を得ることによって成立する犯罪 (刑法246条)。10年以下の懲役に処せられる。

詐欺師とは、詐欺を巧みに行う者をいう。例えば、ある役割を演じ他人にその人格、職業を信じ込ませ、信頼関係や信仰心、恐怖心や権威等にて被害者を洗脳または精神的に縛ることにより疑う余地を与えず、心理的な駆け引きにより金品を騙し取る。被害者が被害にあったと認識出来ないこともある。

2009年06月22日

無人航空機(むじんこうくうき)は人が搭乗

無人航空機(むじんこうくうき)は人が搭乗していない航空機のこと。単に無人機とも呼ばれる。

「UAV」と呼ばれることも多い。これは英語名「Unmanned Aerial Vehicle」、あるいは「Unmanned Air Vehicle」の頭字語(アクロニム)とされる。

また、人間が機体に乗っていないだけで、地上には遠隔操縦するパイロットが存在し判断している、という点を強調してUninhabited Aerial(Air) Vehicle の略とされている場合もある。ドローン (drone) を同義で使うこともある。

典型的にUAVはその機体の任務により6つのカテゴリーに分類される(最近ではマルチロール(多用途)の機体も多い)
物流
剣道
理学療法
建築学
救急医学
東海地方
結膜炎
有機化学
糖尿病
エックス線
湯・群馬
冠婚マナー集
玉露百科
楽しいアロマ
日本の音楽
皮膚と体毛
コーヒーで一息
循環器事典
さくら咲く
こどもの歌

標的、デコイ(Target and decoy) - 味方の地上、航空部隊などの対空戦闘訓練で、敵の航空機やミサイル役として標的になる
偵察(Reconnaissance) - 戦場で情報を収集し味方に提供する
戦闘(Combat) - 攻撃能力を持ち、高い危険を伴う任務に投入される(UCAV)
兵站(Logistics) - 輸送や兵站任務用に設計されている
研究開発(Research and development) - UAV技術の開発や実証など実験目的で使われる
民間、商用(Civil and Commercial) - 軍ではなく企業など民間で使用される

性能による分類 [編集]
UAVは機体の性能で以下のカテゴリーに分類される。

Handheld - 最高高度2,000ft(600m)、航続距離2km程度
Close - 最高高度5,000ft(1,500m)、航続距離10km程度
NATO type - 最高高度10,000ft(3,000m)、航続距離50km程度
Tactical - 最高高度18,000ft (5,500m)、航続距離160km程度
MALE - (Medium Altitude Long Endurance)最高高度30,000ft (9,000 m) 航続距離200km以上
HALE - (High Altitude Long Endurance)最高高度30,000ft以上、航続距離は規定なし
HYPERSONIC - 高速、超音速(マッハ1?5) もしくは極超音速(マッハ5+) 、最高高度50,000ft(15,200m) もしくは弾道飛行可能、航続距離200km以上
ORBITAL - 低軌道を飛行可能(マッハ25+)
CIS Lunar - 月遷移軌道を飛行可能
Train Cable UAV (Tcuav) - UAV、UGV、列車の3つの技術を複合したシステム

なおアメリカ軍の場合はティアシステムと呼ばれる独自のカテゴリーで、無人機を性能別に分類している

2009年06月05日

三戸南部氏の出身で南部氏第24代当主

戦国時代になると、三戸南部氏の出身で南部氏第24代当主である南部晴政が現われ、他勢力を制して陸奥北部を掌握した。晴政は積極的に勢力拡大を図り、南部氏の最盛期を築き上げた。また、晴政は外交にも優れており、中央の織田信長とも誼を通じるなどしていた。しかし、その後は家中の内紛に苦しむことになる。晴政の晩年には南部氏の一族とされる大浦為信が挙兵し南部一族同士の争いが勃発し、為信に津軽地方と外ヶ浜と糠部の一部を占領され、為信は豊臣秀吉から所領を安堵されたために南部氏は元々不安定だった大浦氏の統制を完全に失うことになる。天正10年(1582年)に分家出身の南部信直が晴政、晴継父子から家督を相続した際に晴政親子が急死していることから、晴政親子は信直によって暗殺されたとする説もある。

天正18年(1590年)、南部氏第26代当主である南部信直は豊臣秀吉の小田原の役に参陣して南部七郡の所領を安堵された。同族の九戸政実が起こした九戸政実の乱も豊臣政権の手で鎮圧され、南部氏は安定した基盤を得ることとなる。
キャッシング グルメ 美容整形 食品 成人病 ペット 資格 信越北陸 予備校 公園 しみ取り 設計施工 ケア 金融 育児 成人病 趣味 多汗症 サプリ 検定 ショップ 専門学校 近畿東海 やせる 旅行 審美歯科 探偵 調査 不動産 リラク リラク 住まい リフォーム 多汗症 癒し リラク 電器製品 プリスクール キャンプ場 海外 スポット しみ取り ビジネス 運勢 介護サービス 養育 リラク 化粧品 介護 特産品

江戸時代を通じて三戸南部氏は盛岡藩として存続する。分家で大名とされた家には八戸藩と七戸藩(盛岡新田藩)がある。

明治時代になると、盛岡藩主の南部氏および八戸藩、七戸藩の2分家は華族に列せられ、明治17年(1884年)に旧盛岡藩主の南部利恭は伯爵、分家の旧八戸藩主の南部利克および旧七戸藩主の南部信方は子爵とされた。八戸氏を称していた根城南部氏(遠野南部氏)は士族となり、明治29年(1896年)に南朝の天皇への忠節を賞して特旨をもって華族に列せられ、当主の南部行義は男爵とされた。九戸政実の実弟の中野康実の系譜を引く中野氏は士族とされた。なお、八戸氏および中野氏は、江戸時代末期より南部を称することを盛岡藩主の南部氏より許され、以後、南部を称している。

南部利恭の長男で南部氏第42代当主の利祥は日露戦争で戦死し、利祥には子がなかったので、利恭の次男で利祥の弟の利淳が第43代当主を相続した。利淳には一男一女がいたが、長男の利貞は早世したために、長女の瑞子に公爵一条実輝の三男の利英が婿入りして第44代当主を相続した。南部氏の第45代当主(現当主)の南部利昭は利英の三男で、靖国神社の宮司を務めたが平成21年(2009年)1月7日死去。

なお、鎌倉時代から明治維新まで同じ所領に居続けることができたのは南部氏の他には薩摩の島津氏などごく少数で、所領が中央政権(幕府)から遠く離れていたのが理由と考えられている。

2009年05月02日

ビオトープの歴史的背景

日本における人里の環境は水田耕作を中心とした水の多い環境であり、第二次世界大戦後の今日までの歴史の中で身近に見かけられる人里の環境のなかで最も破壊が進んだのが「水辺環境」であった。河岸は護岸工事で固められ、川の水は水質汚濁が進み、また、水田は圃場整備事業によって広いが単純で生態系に乏しいものとなり、水路からは切り離され、水路は単なる側溝となりさらに農薬散布がこれに被さり、昔は身近に見られた多くの生き物が姿を消す。

そうした中で、日本では1990年代から環境共生の理念のもとで、環境改善の意味合いでビオトープの名を冠した事業が行われるようになってきた。ある生物を保護するとしてもその生物単体の採取を規制するだけでは駄目で、その餌となる生物や繁殖地、さらに餌となる生物が食する植物など関連する自然生態系全体を維持する必要が次第に認識されてきたのである。ただしドイツで生まれた概念であるビオトープをいつだれが日本にもたらしたのかはよくわかっていない。

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これらの動きが重なって、平成元年度からの旧建設省の多自然型川づくりの推進や河川法の改正で、河川を自然環境媒体の視点からみる考え方が普及した。こうした動きも背景として、ちいさな水辺に水草や抽水植物、小魚等を飼育する環境を「ビオトープ」と呼ぶ語法も出てきた。

生物学における用法では、例えばヘイケボタルが生息する典型的な環境をヘイケボタルのビオトープと呼ぶ。そこには、気象条件、地勢や水系の特性、他の生物の生息状況などが含まれる。ただし、この言葉は特に生態系(Ecosystem)との違いが明確ではなく、どちらでも使える場合もあり、現在では生態学の用語として使われる場面は多くない。生態学の分野で使われる場合にも、以下の用法で使われている例が多い。これに対して、この用語を積極的に用いるようになったのは、自然の開発の仕方の反省にたった所から始まる。特にヨーロッパにおいて、人工的に形作られた河川などの形態をより自然に近い形に戻し、それによって多様な自然の生物を復活させるとともに、本来の自然が持っていた浄化作用を利用する、といった観点から、多自然型河川護岸であるとか、親水工法といった言葉が使われるようになった。つまり、これまでは機械的に形作られてきた河川護岸を、生物の生息場所であると意識し、それを積極的に利用する方法が始められたのである。このような、人為的に多様な生物的環境を創造する試みのことを、エコアップなどと称する場合もある。

上記のように、ビオトープは歓迎される事も多いが、反対派も幾らか存在する。前述のようにビオトープには維持管理に多大な手間がかかる。庭園では植物の生長に応じて間引きや整枝などを適宜施さなければならないが、ビオトープでこれを怠ると密な植栽が関係してたちまち藪のような状態になる。また園内に池を設置する場合でも、特に環流型にする場合、水の浄化設備に通常の庭園よりも高い能力を要求する。よって誰が面倒な管理をするのか、あるいは予算的な問題など、ビオトープ作庭には諸手を挙げて賛成するわけにもいかない面もある。公共的な空間では施工計画にあたって議論が生ずる事もある。

2009年04月17日

春秋(しゅんじゅう)

春秋(しゅんじゅう)とは、魯国の年次によって記録された中国春秋時代に関する編年体の歴史書である。儒教では、孔子の手が加わった、もしくは孔子が作ったとされ、その聖典である経書(五経または六経)の一つとされている。

その内容は王や諸侯の死亡記事、戦争や会盟といった外交記事、日食・地震・洪水・蝗害といった自然災害(伝統的には災異と呼ばれる)に関する記事などが主たるもので、年月日ごとに淡々と書かれた年表風の歴史書である。年限は上は魯の隠公元年(紀元前722年)から下は哀公十四年(紀元前481年。獲麟と呼ばれる)の二百四十二年で、記事内容は魯を中心とした歴史である。(但し、『左氏伝』に掲載されている春秋は、「獲麟」の2年後の孔子の死去まで存在する)『春秋』が扱う年代であることから、「春秋時代」という名称が生まれた。

体裁 [編集]
『春秋』は、「年・時(季節)・月・日 - 記事」という体裁をとっている。

年:魯国の君主、魯公の在位による紀年が使われている。
時:季節。つまり四季の「春・夏・秋・冬」が使われている。四時の首月の上にのみ書かれ、首月(四季の初めの月。春は正月、夏は四月、秋は七月、冬は十月)に記事がない場合は同じ季節の次の月の上に書かれる。一つの季節に一つも記事がない場合は、「春正月」などと首月の上に書かれる。
月:「正月、二月、三月…」が使われる。
日:「甲子、乙丑、丙寅…」といった干支が使われる。
記事:短い句で構成され、事実の羅列に終始している。主観的な語は少ない。
王:春の一番はやい月に一度だけ書かれる文字。(春王正月、春王二月、春王三月のどれかになる)これは周王朝の暦に従っていることを示しているとされる。

正確な所は不明とされている。『左氏伝』に注釈を施した杜預によると、「春秋」とは春夏秋冬の中の、春と秋とを取って、「年」を現したものとされている。「春秋」の名称は、(1)も『墨子』明鬼篇に「周の『春秋』・燕の『春秋』・宋の『春秋』・斉の『春秋』」または「百国春秋」とあるように、春秋・戦国時代の諸国でこの書名を用いていたとも、(2)『孟子』離婁篇では「晋の『乗』・楚の『梼杌』・魯の『春秋』」とあり、魯の国特有の歴史書であるとの見方もあり、定説はない。

なお伝統的儒学思想の考えでは、西周の時代は諸国が歴史書を勝手に編纂することは禁じられていたとする見解もある。この場合は、魯の国に『春秋』なる書物があること自体が、罪悪であるとみなされ、『春秋』であれ他の名称であれ、何れも否定的に理解される。これらは何れも史料の少ない時期のことであるから、確論とはなっていない。

テキストと注釈 [編集]
『春秋』という書物は単独では現存していない。一般に『春秋』(春秋経)と呼ばれているものは、戦国から前漢にかけて製作された「伝」と呼ばれる注釈書に包括されて伝えられたものである。現存している伝は『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』の三つであり、あわせて春秋三伝と呼ばれる。

この三伝が伝えるそれぞれの『春秋』には若干の異動が見られる。扱う年代も『公羊伝』『穀梁伝』は哀公十二年までであるのに対して、『左氏伝』の春秋が哀公十四年までである。何れの伝を選択するかによって主張が異なるため、歴代王朝で論争のまととなった。初期の論争では、漢の今文古文の論争が有名。(春秋学、今文学、古文学を参照)

『春秋』の作者と成書年代 [編集]
伝統儒学では『春秋』の成立に孔子が関わったとされる。ただし、歴史的にその解釈は一様ではない。

最初に孔子の『春秋』制作を唱えたのは孟子である。孟子は堯から現在に至るまでの治乱の歴史を述べ、周王朝の衰微による乱世を治めるために孔子が『春秋』を作り、その文は歴史であるけれども、そこに孔子の理想である義を示したという(ただし、この孟子の「作春秋」にもいろいろな解釈があり、「『春秋』を講説した」とする立場もある)。

前漢の司馬遷『史記』にも似たような記述があり、孔子が「魯の史記」(原「春秋」)を筆削して『春秋』を作ったという。このように前漢の春秋学ではもっぱら『春秋』から孔子の微言大義(微妙な言葉遣いの中に隠された大義)を探ろうとする『春秋公羊伝』に基づく公羊学が隆盛した。

しかし、後漢になると、孔子を周公の祖述者とする古文学が隆盛し、『春秋』には『春秋左氏伝』による解釈学が起こった。『春秋』を周公の伝統を受け継いだ魯の史官が書いた「魯の史記」そのものと見、孔子は「述べて作らず」でそれを祖述したとする見方が一般的になった。

唐代になると劉知幾の『史通』惑経を始めとして、『春秋』を経とすることを疑う主張も現れはじめた。北宋の王安石に至っては『春秋』を「断爛朝報」(ばらばらの官報)とし、その欠文は孔子の義が示されているようなものではなく、単なる不備だと見るようになった。一方で、春秋胡氏伝のように孔子の義を見いだそうとする立場も続けられた。

清代になると常州学派がふたたび漢代公羊学を取りあげ、『春秋』を含めた六経を改制者としての孔子が創作したものとした。

その後、近代になると雑誌『古史弁』を主宰する疑古派が現れ、孔子と『春秋』との関係を完全に否定した。現在では著作という強い主張はないものの何らかの関係を認めるもの、まったく関係ないとするもの両者がある。

近年、天文暦学の観点から新しい知見が示された。小嶋政雄は、中国の暦法が『毛詩』『尚書』などでは日月惑星を観察して日付を決める素朴な暦法しか見られないのに対し、『春秋』になると突然、高度な四分暦が使われているという点を指摘し、『春秋』は紀元前300年前後に西欧から入ったカリポス暦法によって遡って改装されたものだと述べている。

また近年では新説も提出されているが、諸説紛々として定論をみないのが現状である。

春秋学 [編集]
「春秋」は極めて簡潔な年表のような文体で書かれており、一見そこに特段の思想は入ってないかのように見える。 しかし後世、孔子の思想が本文の様々な所に隠されているとする見方が一般的になった。(春秋の筆法)

例えば、「宋の子爵(襄公の事)が桓公の呼びかけに応じ会盟にやってきた。」というような文章がある。しかし実際は宋は公爵の国であった。これに対して後世の学者は「襄公は父の喪中にも拘らず会盟にやってきた。不孝であるので位を下げて書いたのだ。」と解釈している。

このような考え方によって『春秋』から孔子の思想を読みとろうとする春秋学が起こった。

前漢の武帝の時、公羊伝にもとづく春秋学を掲げた董仲舒が出て『春秋』を法家思想に変わる統治原理を示す書として顕彰した。その後、五経博士が設置され、『公羊伝』『穀梁伝』が学官に立てられていたが、新では劉歆が『左伝』を学官に立てた。後漢では左伝は学官に立てられず、もっぱら公羊学が行われたが、『左伝』に服虔が訓詁学に基づいて注をつくるなどして、やがて公羊学を圧倒した。これに対抗して公羊伝には何休が注をつけ『春秋公羊解詁』を作ったが、西晋の杜預が『春秋』経文と『左伝』とを一つにして注釈を施した『春秋経伝集解』を作り、以後、春秋学のスタンダードとなった。唐代には『春秋経伝集解』に対する疏の『春秋正義』が作られた。しかし、唐代以降、三伝(特に『左伝』)は『春秋』の注釈として否定的にとらえられるようになり、宋代になると三伝は排斥されて新注が作られた。

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